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Interview03

中途社員紹介 03

さらに成長できる環境が
ここにあった。

Profile

不動産開発事業

吉本 正弘

2011年入社

MASAHIRO YOSHIMOTO

Career

2004マンションディべロッパ―入社 営業としてマンション販売を行う

2005AM・PMの会社に入社 賃貸、売買、管理業を担当

2007マンション開発、リノベーションの企画販売会社に入社

2011フージャース入社

―2011年4月入社の吉本は現在、フージャースコーポレーション 営業本部営業一部営業二課に所属。物件リーダーとして、名古屋に開発中の物件を販売するため一人乗り込み、現地のスタッフと共に奮戦中だ。学生時代からコミュニケーション力に自信を持っていた吉本が選んだ職種は営業だった。就職活動では、最終的に2社に絞り込まれた。大手事務機器メーカーの保守を担当する子会社と、急成長しているマンションデベロッパー。当然、両親は安定性のある大手企業への就職を望んでいた。しかし、吉本は親の反対を押し切り、マンションデベロッパーへの就職を決めた。

家族は全員大反対でした。馬鹿なことをするなと。でも、その社長が凄い魅力的な人だったんです。丸の内に移転した直後で、これからいい人材を採用して事業を拡大していきたいということでした。日本の家は狭すぎる。100㎡以上を日本の家のスタンダードにしていくのが夢だと。そんな言葉に共感しました。僕らの時代はベンチャーに行くことが格好いいとされる時代。あまり大手や公務員を目指す人が少ない時代でした。これからという会社だと、もっと大きな夢が描けるかなと。

―新入社員となった吉本に与えられた仕事は厳しい内容だった。100㎡以上を謳うその会社の物件価格は、5,000万円から1億円以上。そんな高額物件を売る資格は、新入社員である吉本にあるはずもなかった。

入社当初は、毎日がポスティング。パワーポイントでチラシを作って、2色刷の輪転機で印刷をするんです。それを持って1日2,000枚のチラシを撒く。きれいに印刷されたチラシもあるんですけど、そんな物は撒かせて貰えない。自分で作ったチラシでお客様を呼べたら接客ができる。試されていたんですよね、根性とやる気を。今思えば楽しかったですね。あの経験がなかったら成長しなかったと思います。

――吉本はその苦労を修業と称して笑って話す。彼の根性とコミュニケーション能力が発揮されるまでには、それほど時間は掛からなかった。

4月に入社して、5月の半ばくらいに契約が取れたんですよ。1件取れると奴隷扱いから営業マンへと格上げされるんです。それからは、毎月1件はノルマを課せられていました。5,000万円とか1億円の物件を23歳の新入社員が売るんです。高額のマンションを売るという仕事が、チャレンジしがいのある仕事だと感じました。

―入社から1年、不動産の醍醐味を感じ始めた頃、世間を巻き込む大事件が発生する。2005年に発覚した「構造計算書偽造問題」。世に言う耐震偽装問題だ。吉本は入社2年目にして、転職を余儀なくされる。

青天の霹靂とは、正にこういうことかと。先週まで『信頼しているよ』と言ってくれたお客様が、180度変わってしまう。説明会の会場で怒鳴りつけられることもありました。高い買い物ですから当然ですが、本当にショックでした。あの経験以来、本当に想像しないことが起きても驚かなくなった。強いハートを身に付けました。

―2006年2月、会社は倒産。吉本は知り合いの伝で、ある会社に入社する。他社が開発したマンションやリノベーション物件を売る販売代理店だ。

実は入社の条件で、営業はやらないということで入ったんです。でもリーマンショックの影響で営業をまたやる羽目になってしまって。でも始めたら、何故か一番売れたんですよ。3年間営業って一切やってなかったんですけどね。一度地獄を見てるんで、普通の人が苦だと思うことでも、まったく苦ではなかった。それ以降の営業活動は、天国で営業しているような感じでしたね。本当の営業マンになったのもこの会社です。久しぶりに営業すると、お客様と話すのが楽しかったんですよ。素直にお客様の話を聞いて、その人を把握して、的確なものを伝えられるようになっていた。3年で成長していたんですかね。極意じゃないですけど『物を売るより人を売る』ことが営業なんだと、実感しました。

―不動産営業という仕事が分かってきた。そんな吉本に、またしても不幸が訪れる。会社が業務停止に陥ったのだ。またしても会社を辞めざるを得なくなった吉本だが、この頃、吉本の心にある想いが芽生えていた。

色々な会社の物件を売るよりも、自分が所属する会社の物件を売りたいと思い始めました。自社で開発して、自分たちの想いの詰まった商品を売る方が楽しいなと。学生時代に聞いた社長の想いが、僕の心の中に残っていたんでしょうね。

―そして、転職の相談をしていた知人からフージャースを紹介される。「リーマンショックに生き残り、V字回復に向けて営業を探しているので行ってみれば」と。

人に惹かれる傾向が強いんですけど、面接で聞いた話が面白かったんですよ。社員に共通しているのは、夢があるとか、考えていることが大きいってこと。特に面白かったのは当時の営業部長の話で、マンション一戸売るためにどうしようじゃなくて、日本を良くするためにとか、世界を良くするためにとか。なんか壮大なんですよね。この人の下で働くのか。それは面白そうだなと思って、他を受けることなくすんなり決めました。

―そして2011年4月。吉本はチーフとして営業部に配属された。北習志野にある150戸のうち20部屋を残す現場だった。吉本は思っていた。営業の極意も得た。当然、自分が一番売れると……。

実はチーフとは言っても、入社時の仕事ってポスティング営業だったんですよ。それを知ったときには、もう辞めようと思いました(笑)。でも、なにくそ根性で達成しましたよ。

―自分が一番売れると思っていた吉本の前に立ち塞がったのが営業部長の市橋だ。

その頃、市橋はバリバリに売っていて。唖然とするほど売るんですよ。月の目標を一人で売ってしまうくらいに。自分なんか、全くもって敵わない。そういう意味では、この会社ならまだまだ成長できるなと感じました。他の営業も市橋に頼るのではなく、市橋に負けないと思っている人たちだったので。こういう人が現場にいるからこそ、営業の底上げが出来ていたんです。結局この現場では、3ヶ月で4戸の契約を上げることが出来ました。

―そして吉本は、フージャースで初めて戸建の営業も経験することになる。

戸建の販売も面白かったですね。管理費や駐車場代の話をしない。今までとはまるで逆の話をするんですよ。マンションは集合住宅ですが、戸建は自分の土地に独立した家がある。マンションを見に来たお客様は、戸建と比較することもありますが、戸建を見に来たお客様は、あまりマンションと比較しないんですね。だからマンションと競合しない。純粋に戸建の良さをお伝えすれば売れるんです。在来工法が良いのかツー・バイ・フォーがいいのか。建築中の物件を見ていただいて、昨日知った知識を、さも知っているかのように話したり。そういうところが面白かったですね。

―フージャースの営業は体より頭を使っているという。場所を知り、商品を知り、競合も研究してから作戦を練る。競合に勝つための改善も行い、綿密な計画を立て、それを遂行していく。全ての社員が計画を元に自分の考えで動いていくのだ。

フージャースの営業社員は諦めないですし、自ら学んで、学んだ先に何があるかを見据えている。だから頑張れるんだと思います。やっぱり、やらされている仕事は疲れるだけですからね。同じ目標を持って、自分で考えながらそれを推し進めていく。それを否定する人間もいないですし。

―吉本は現在物件リーダーとして、様々な物件を任されている。そんな吉本に次なるチャレンジについて尋ねた。

いつかは、デベロッパーの一番大切な部分。どこに土地を買って、何を造って売るのかという分野に携わっていきたいと思っています。企画部ではなく、営業として。この地域だから売れる商品作りとか、価格帯による設備の工夫とか。他の部署と連携して、自分が売りたい商品を一緒に作って売る。そんな仕事がしてみたいですね。営業をしていると『何故こんな商品を造ったんだ?』と思うこともあるので、そういうギャップをなくしていきたい。そして、よりお客様が求める商品を作っていきたいですね。

Off Time

休日は、よく子どもと大きな公園にお弁当を持って遊びに行きます。大型連休には、3年に1度は海外へ旅行に行くようにしています。休みでも家でじっとせずに、家族といろんなところに出かけていますリフレッシュしています。

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