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Interview04

中途社員紹介 04

仕事人生残り20年、
充実できる仕事を求めて。

Profile

不動産開発事業

菅原 文子

2015年入社

AYAKO SUGAHARA

Career

1999マンションデベロッパー入社 商品企画・営業企画・販売業務を担当

2001同業他社へ転職 用地仕入れから引き渡しまで一貫して行う

2008金融系不動産会社に入社 私募ファンド運営やCREコンサルティングを担当

2015フージャース入社

―2015年10月入社の菅原は、現在、フージャースアセットマネジメント投資事業部開発課に所属。新事業でもある投資事業を軌道に乗せるべく、一人、日々奮闘中だ。大学時代の菅原の専攻は社会科学部。しかし、選んだ業界は不動産業界だった。何故この業界を選択したのか?

私たちのときは、就職氷河期が少し解けかかる時期でした。大手を受けようと思って動いていたんですが、少し出遅れてしまったんです。それで、改めて企業を見直してみようと、資料を見ていたときに、当時、立ち上げたばかりの不動産会社があったんです。新卒採用も2期目で、まだまだ社員数も少ない会社。仕事内容も、「仕入れからプロジェクトを企画して販売するまで、一人の担当に一気通貫でプロジェクトを見てもらいます」ということでした。もともと不動産に全く興味がなかった訳ではないんですが、実は、商品は何でも良かった。プロジェクトマネージメントができる会社ということで選びました。

―プロジェクトマネージャーを目指して入社した菅原。不動産の知識がない菅原が配属されたのは、マンションギャラリーでの営業だった。当時の社員数は30名ほど。菅原も営業を皮切りに、販売企画、商品企画と様々な業務を任されるようになった。会社の規模も急速に拡大。2年目には社員数も80名に増え、その夏には上場も果たした。これから、ますます大きくなろうとする会社。しかし、菅原は何を思ったか、転職を決意する。

株式公開をすると、どうしても業務の効率化を目指します。一気通貫で取り組めていた仕事が、縦割りされ、分業化されるようになってきたんです。大きくなろうとする会社も、面白いとは思ったんですが、当時の上司が独立するというので、その立ち上げに参加することになりました。 今から考えたら無謀ですけど、当時は何も怖いものなしでですね……。実はその上司は、土地取引のご縁から、最初に私が在籍していた会社を手伝っていたのですが、後の転職先となる不動産会社を既に経営していたんです。ですから、株式公開を機に自身の会社に専念し、その会社でマンションプロジェクトを始動させたんです。

――「年間に1本でいいから、自分たちの納得いくマンションを創ろうぜ」そんな熱い言葉に惹かれた。社長、経理、菅原、社長の奥様という体制。大きくなった組織ではできない、本当にお客様にとって良いマンションを提供したい。そんな想いで立ち上げた会社だった。

不動産は2つとして同じものがありません。その土地に合ったマンション企画、間取りもそうですし、ターゲットに合わせた商品を創るという意味では手作りだと思います。建築もゼネコンさんが現場で創るもの。工場でできた既製品を買ってきて置くものではないので、そういう意味でも手作りです。ですから週に一回の工事定例会議には、私も必ず参加して、逐一、事業主としての判断をして進めていきました。

―年1棟のマンション開発。人数も少なく、月間休日1日で働いていたという菅原。年齢もまだまだ20代半ば。やりがいはあったという。

社長が私の母と同い年だったので、本当に親子みたいな関係でした。金融機関対応など、社長と一緒に動くことも多かったのですが、プロジェクトの現場では、会社の代表としてマネジメントも任せてもらえていたので、毎日が充実していました。ただ、若いので大変なこともありました。マンション近隣との交渉の局面で、「お嬢ちゃんじゃなくて、上席連れて来い」って言われても、私の上は直ぐ社長なので、「これ以上出す人いないんです」って。そんな感じでやっていました。

―7年8ヶ月、少ないスタッフと共に、菅原はプロジェクトマネージャーとして走り続けた。これだけ続けて来られたのも、周囲の人間に恵まれたからだという。

ゼネコンさんにしてもそうですし、お客様を始め、販売会社さん、設計の方々。外部の方々から学ぶことが非常に多かったです。マンション開発プロジェクトって、プロジェクトマネージャーと協力会社さんがいれば成り立ってしまうんですね。もちろん社長に育てられたというのもありますが、まわりの方々と一緒にプロジェクトをやることで、大きな成長に繋がったと思っています

―がむしゃらに走り続けた7年8ヶ月。あるとき、菅原の頭によぎった言葉があった。以前の上司の言葉だ。「不動産の醍醐味、不動産屋のミッションっていうのは、土地が持つ価値を極大化することだ」。この言葉を思い出し、菅原にある想いが湧き上がった。「商業施設やオフィス、もっと色々な角度から不動産を見てみたい」。

ずっと「仕入れて創って売って」の繰り返しだったので。一定のノウハウは身についたし、今のままマンションデベロッパーで働くことも良いかなとは思ったんですけど、やはり、外の世界が知りたくて。

―そう決断した菅原。転職サイトを見ていて、面白そうな会社を見つけた。直感で面接に行き、内定をもらった。そして直感を信じ、入社を決めた。不動産会社と大手銀行とが合弁で作ったコンサルティング会社だ。

2002年の設立当時、通称「竹中プラン」と言われる金融再生プログラムが公表され、金融機関各社にとっては、担保物件である不動産を、適正に評価し、処分する機能が必要でした。それも、銀行色が強すぎず、不動産に精通していることが求められ、外部の不動産会社をパートナーとして会社を立ち上げたんです。専ら、親会社である銀行の法人顧客に対する不動産サービスの提供というのがミッションでした。

―「商業施設やオフィスなど、もっと色々な角度から不動産を見てみたい」。その想いを持って転職した会社で、これまで会うことはなかった多くの人々と出会うことになる。

銀行ルートなので、お会いする方は財務部門や管理部門の上の方や経営者の方々。年間に300件近い法人とお会いする機会を得ました。お客様ごとに様々なニーズがあることを知り、取扱い物件もマンションやオフィスビルだけではなく、工場やゴルフ場の相談だったり。結構面白い経験をさせてもらいましたね。

―年間300社との出会い。それは菅原の不動産を客観的に見る目を養った。そして人脈。名刺管理ソフトへ登録した名刺は、3年間で2,300件を超えた。

法人顧客向けソリューション業務で携わった、100物件を超えるような大量の不動産の査定をする案件や、法人営業の前に配属された、私募ファンドのアセット・マネジメント業務で、一定の基準に基づいて不動産を査定していく内に、「マーケットで、この不動産がどう見られるか」という目線で物件を捉えることができるようになりました。お客様の数もそうですし、数多くの不動産に触れることで、不動産を見る目が養われたと思います。

―知識と人脈を得た菅原。その裏で会社を取り巻く環境が少しずつ変化し始めていた。設立から12年を経て、立ち上げ当初の目的が達せられ、親会社から求められる役割が変化してきていた。

元来、明確な目的の下に作られた合弁会社ですから、そのお役目が終われば、親会社にとっての存在価値が薄れてきます。会社を存続させるためには、顧客や親会社から求められる、新たな価値、機能を創っていかなければなりません。ただ、大多数が親会社からの出向者で組織されていましたから、人の入れ替わりも激しくて、単独で新たなチャレンジをするにはとてもハードルが高かった。

―当時、親会社を含む関連会社へ転籍する選択肢もあったが、菅原は外にでるという決断をする。自分が入社したのは親会社ではなく、この会社。会社のためにも、自分が一度外に出て、改めてパートナーとして仕事ができないか。そうしたら、また、この会社の強みを活かした面白い仕事ができるんじゃないか?

転職の際に重視した条件で、やっぱり一番はモノに触れる会社。不動産の金融寄りの業務ではなく、自分で商品が創れる会社がいいなと思っていました。後はチャレンジできる会社。仕事ができるのもあと20年位ですから、仕事人として充実した時間を過ごしたい。

―不動産会社、投資会社を数社。その一社がフージャースだった。

マンションデベロッパー他社からも内定をもらっていましたが、「マンション以外を知りたくて外に出て、またそこに戻るのも……」との思いはありました。ですが、フージャースが収益不動産という新しい分野にチャレンジすると聞いたので。あと、誰と働くかということもすごく重要視していました。新卒の時からそうなんですが、扱う商品がなんであれ、一緒に働く人によって、充実度って変わると思うんです。私、面接を2回受けているんですが、その2回とも面接官が社長の藤井だったんです。2回目の面接で、藤井が、「最初の面接で話を聞いて、どういう業務が合うか一生懸命考えた」。それが投事業資部開発課だったんです。「人の話をきちんと聞いて、適性を見て、人を活かそうとする」というのは、経営者として尊敬できるなと思いました。それで、気持ちも固まり入社を決意しました。

―そして2015年10月。菅原はフージャースコーポレーション投資事業部開発課に入社することになった。現在、開発課のスタッフは菅原のみ。今は藤井との二人三脚で業務を進めている。将来、どのような部署にしていきたいのかを聞いてみた。

最終的には、投資事業を、分譲事業と並ぶ当社の収益の柱に育てたい。投資マーケットでは、完全に後発です。ですが、地方創生とか、不動産ストックを活かすとか、今、求められているニーズに応えて、不動産を集める。そして、多様化が進む住まい方、生き方をキーに、オペレーションの工夫によって不動産を最有効活用する。更には、それに賛同してくださる人や機関投資家を集めてファンド化ができれば面白いかなと思ったりもしています。モノが加工できるとか、地方に出られるとか、京都の長江家住宅みたいな活用の柔軟性とかって、当社ならではの強みなので。われわれが不動産を創って、それを使う人が満足し、それによって投資家が潤う。そんなことができれば、フージャースでやる意義があるかなと思います。とにかく、まだまだ発展途上なんです。今やらなければならないのは、まず部の体制を整えること。これから大きくジャンプするための発射台が必要なので。そして、一緒にジャンプする仲間を作りたいと思っています。

Off Time

週末は録り溜めたドラマを見たり、読書をしたり、ゆっくりリとリラックスして過ごしています。最近、健康維持のために数年前までよくやっていた10㎞ランを再開しました。

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