街のストーリー

風土を活かし、
賑わいを取り戻す街づくりを。

2024.01

私たちフージャースは、東日本大震災の被災地の再生・復興に向け、石巻を発端に東北地方で再開発事業を行ってきました。今回ご紹介する「デュオヒルズ山形七日町タワー」(以下、DH七日町タワー)もその流れを汲んで、2014年にDH七日町タワーの前身であるセブンプラザの取得から始まりました。
私たちフージャースにとって初めての山形での事業。それだけでも思いは強くなるものですが、この物件が建つ場所には、約400年前の1624年に山形城主の鳥居忠政が生活用水や農業用水を確保するために作った「山形五堰」のひとつである「御殿堰」が復元されており、歴史的な資源との共生も重要なポイントでした。そしてその場所を大切に思い暮らしてきた人たちの存在も、非常に大きなものでした。

今回は2021年3月に「七日町第5ブロック南地区市街地再開発事業」により竣工した「デュオヒルズ山形七日町タワー」及び商業施設「七日町ルルタス」のストーリーを、再開発コンサルタント・建築設計を担当いただいた株式会社アール・アイ・エーの金原 信(かなはら しん)さん、フージャースからは再開発推進担当の宮川 知千(みやかわ のりかず)、建築担当の松浦 純(まつうら じゅん)、計3名の取材を通してご紹介します。

金原 信(写真中央)

株式会社アール・アイ・エー 東北支社 支社長。再開発コンサルタント・建築設計担当として本事業を推進。現在まで、山形中心市街地エリアの他、東北各地の再開発事業やまちづくりを手掛けている。

松浦 純(写真左)

株式会社フージャースコーポレーション 建築統括本部。山形県出身。本事業の担当として自ら手をあげ、建築担当として事業を推進。

宮川 知千(写真右)

株式会社フージャースコーポレーション 企画開発本部。(株)アール・アイ・エーと連携し、組合事務局業務、行政・地元団体協議、地権者の取りまとめから組合の解散まで、事業全体を推進。

歴史の流れを汲む

七日町は、古くから街の中心地として、県庁や役場、銀行が置かれて賑わってきた街です。第二次世界大戦で空襲を受けなかったこともあり、石畳や近代建築、裏通りには料亭や古民家が立ち並ぶ、風情ある街並みが今も残っています。特に本事業北側に隣接して、約400年前の1624年に山形城主の鳥居忠政が生活用水や農業用水を確保するために作った「山形五堰」のひとつである「御殿堰」が復元されており、その場所との共存は必須でした。

―フージャースが今回の再開発事業を立ち上げたきっかけを教えてください。

宮川

2014年のことです。1950年代東北初のファッションビルとしてオープンし、老朽化していた「セブンプラザ」の取得・運営の話から始まりました。中心市街地活性化基本計画エリアだったこともあり、ゆくゆくは再開発も視野に入っていました。東北地方の再生・復興に力を入れてきたこともありますし、山形市の銀座四丁目にあたる場所。「これは、やりがいがある!」と、迷いなく手を挙げたんです。

金原

実は、再開発を視野に入れていたこともあり、フージャースさんが取得したタイミングから、私たちや山形市、近隣のビルオーナーと一緒に話し合いを進めていました。そんな中、想定よりも前倒しで再開発が本格的に動き出す出来事が起きました。

宮川

セブンプラザの取得からすぐ、改正耐震改修促進法に基づく大規模建築物の耐震診断結果が発表され、セブンプラザは震度6強から7程度で倒壊の「危険性が高い」と公表されました(市内4建物)。安全上の問題で運営は困難となり、当時30店舗ほどいたテナントの皆さんには、泣く泣く退去をお願いしました。従業員の方々の生活もあり、移転先の調整や地元同業他社への従業員ごとの事業譲渡等、再開発事業とは別に補助金なしで行いました。

しかし、ここでは止まってはいられません。当時の七日町エリアはセブンプラザの閉鎖により、さらに衰退が進んでいました。また、山形市が考える中心市街地活性化の重要な拠点として「御殿堰」が復元され、再開発エリアの隣地には、2010年に商業施設「水の町屋七日町御殿堰(以下、「水の町屋」)」も完成。それを生かしたまちづくりを展開しようと、地権者の皆さんが動き出していましたが、個々の事情から思うようには進んでいませんでした。そこで私たちは街の人と協議を重ね、今回のセブンプラザを解体と、新たに商業棟(ルルタス七日町)と住居棟(DH七日町タワー)を再開発事業として建設することを決めます。

こうして「七日町第5ブロック南地区まちづくり協議会」が設立。再開発が動き出します。2016年3月のことでしたね。

1950年代東北初のファッションビルとしてオープンした「セブンプラザ」

手を挙げた社員の、山形への想い

―今回の再開発事業に参加したいと社内から申し出があったと伺いました。当時、仙台の物件で建築担当していた松浦さんですね。

松浦

そうですね。震災後、仙台の物件には家を失って、太平洋側からやってくる方が大勢いらっしゃいました。それは、山形市も例外ではありません。ときに被災のお話を聞く中で、東北復興の気持ちが強くなりました。震災地だけでなく、東北全体の活性になにかできないかと思うことが多々ありました。

私は山形県出身ですが、同じ東北地方の出身でありながら、何もできないでいることに歯痒い気持ちでした。そんな時に今回の再開発の話を社内で聞いて、「建築担当として地元、山形のために何かしたい」と手を挙げたんです。

当時、私の拠点は東京にありましたし、Zoom(オンライン会議ツール)もありませんでしたから、何度もRIAさんの拠点である仙台と、山形、東京を行き来して。何としてでも成功させたいという想いで、RIAさんや協力事業者の皆さんとは密にコミュニケーションを取っていました。行けない時は、本当にずっと電話してましたよね。それだけ課題も多かったということなんですが(笑)

当時のことを振り返る、フージャース建築担当の松浦

再開発と、五人の地権者

宮川

課題は多かったですね。その中でも忘れられないのが、地権者さんとのやりとりです。再開発事業エリアには、法人を含めて5人の地権者さんがいました。歴史ある街ですから、長らくこの土地で商売をしてきた地権者の皆さんの思いが強いのは当然です。中でも94歳の最上階に自宅のあるテナントビルのオーナーとのやりとりは、特に忘れることはできません。

折衝はなかなか受け入れていただけず、聞き取りが困難な状況にあるので電話でのやり取りも難しい。権利変換の条件や移転先の合意を得ること、特に、ご高齢のため仮移転先を見つけることが大変でした。高齢者に貸してくれる物件は限られています。賃貸物件、さらに介護施設とご要望に合わせて20軒ほど回るも全滅。最終的には、本人が「ここなら良い」と言ってくれた市内の新築戸建てを当社で購入し、解体工事が止まるギリギリの段階で転居が完了しました。

松浦

引っ越しが無事に終わり、解体前現地確認のためにそのお部屋に立ち寄ったことがあったのですが、その場所にはその方の暮らしの温度や空気感がありました。「この場所で長らく暮らしてきた人に動いていただいてまでする仕事なのか?」という気持ちが、自分の中に生まれてきたことを今でも覚えています。

宮川

もちろん、その方のビルだけを残して開発を進めるという選択肢はありません。そのために、私たちもそれぞれの方の最善を常に考えて対話を重ねてきました。しかし、それぞれが過ごしてきた時間が異なる中で、その方達1人ひとりの生活を大きく変えてしまうのが再開発。その価値観を合わせて、ご納得をいただく難しさと責任の重さを痛感したのが、まさに今回の経験でした。「絶対に失敗できない」、心の底からそう思いました。

当時のことを振り返る、フージャース再開発担当の宮川

景色と調和する、建物デザインをめざして

―DH七日町の設計のこだわりを教えてください。

松浦

私たちが作ったのは、住宅棟、商業棟、駐車場棟です。住宅棟は地上20 階建てで、1階がコンビニエンスストアとお菓子店、2階以上は144戸が入居する大規模な分譲マンションになっています。商業棟は地上 2階建てで、1階には生鮮3店(青果、精肉、 鮮魚)、2階に学習塾とレディースクリニックが入居していただけました。

周辺の環境から、20階建ての本物件はどこからでもよく見え、街のランドマークになると思っていました。ですので、マンションという巨大な壁ではなく、今も街にあるモノ、蔵や御殿堰を想起させるような伝統色の漆色・銀鼠色・墨色のような特色あるカラーを採用し、街に合った分節を加えることで環境に共生しながらランドマークになりうる外観デザインに仕上げることにしました。エントランスも伝統工芸山形刺し子をモチーフにしたデザインを散りばめ、山形の手仕事が感じられる漆塗りや金箔のアクセントウォールや家具を選定させていただきました。

商業棟も向かいの水の町屋にデザインを合わせて、古き良き町屋のような雰囲気作りを大切に計画しました。

周辺の街並みとの調和をめざした、アースカラーを基調とした外観デザイン
商業棟(左)は、水の町家(右)とデザイン・建物の高さを合わせてデザインした
マンションエントランスは、山形の伝統工芸を連想するデザインに
金原

竣工した建物を見て思ったのは、「自社のデザイン思想を最優先にせず、この土地の風土を汲み取って、その場所に合ったデザインを生み出してくれるフージャースさんでよかった」ということです。見てもらったらわかるんですが、周りの風景に、すっと馴染んでいるというか。今回フージャースさんからの提案で、これまではなかった回遊性をエリアに持たせることにしたんですが、水の町屋、DH七日町、七日町ルルタスを通る歩行者の数も増えているんですよ。

回遊性を持たせたことで、人の通りも増えている

作って終わりではなく、街を育てていく

松浦

立退難航、解体新築の同時工事等、いっときは工事が止まるかもという不安もありましたが、2021年3月にDH七日町タワーは無事竣工しました。ここに至るまで、補助金の金額変更や事業内容が一人歩きしてしまい周囲と調整を試みるなど、正直話せばキリがないほどです。

金原

そう、この時間では語りきれない(笑)

実は、今回商業棟の1階に入ってくださった生鮮3店は、元々ご近所にあった大沼百貨店に店を構えていたんですが、大沼百貨店が2020年に閉店したのをきっかけに移転を決めてくださいました。町の人が「少し良い食事がしたい」というときに必ず利用していたお店ですから、私たちのところにテナント移転を決めてくれた時は、本当に嬉しかったですね。

再開発をしたからといって、土地の価値や人口が急激にV字回復するというわけではありません。ただ、この事業をきっかけに、銀行や市立病院の建て替えや、大沼百貨店の再開発など、周辺エリアで新たな動きが始まっており、民間の力で再開発を進めていこうというマインドが広がるきっかけになっています。

松浦

再開発は作って終わりではなく、育てていくもの。まさに、そうなっていることは非常に嬉しい結果です。

今回の再開発を振り返る、金原さん

今回は七日町という歴史の長さと、御殿堰という貴重な資源が街にありました。それが建物を考える上で、重要なポイントでした。
私たちは建物を作りますが、その土地土地に必ず歴史や生活があり、その過程には多くの人が関わります。地方においても、都心においても街で暮らすこと、マンションに暮らすことに明確な正解はありません。だからこそ、これからも私たちは、その場所の歴史や生活を紐解き、対話でものづくりを進めていきたいと強く思った事業でした。

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