完成までのストーリー

歴史ある京町家の、
文化と暮らしを継承する。

2021.11

かつて京都では町家が並ぶ光景が当たり前でした。しかし、現在では保全費用などの問題で家主が住み継ぐことが難しく、次々と滅失しています。歴史ある貴重な建物だから残る、とはいかないのです。個人での維持保全が難しい京町家の「建物」と「暮らし方」の両方を継承した「京都市指定有形文化財 長江家住宅」のストーリーを紹介します。出会いから実現まで2年にも及ぶ長い物語です。

京都の街で事業をする

2012年の春、フージャースの関西進出が決まりました。進出といっても、そこに仕事があるわけではありませんでしたから、まずはたった1人で京都支店設立準備室を開設して、京都に赴任することから始まりました。それは、ネットワークもない、土地勘もない、長い歴史を礎にした街でデベロッパーとして何ができるのか悩む日々の始まりでもありました。

まずは地域を知ることから始めようと、長江家住宅と京都市景観・まちづくりセンターが共催する、京都のまちづくり史に関するセミナーイベント「長江家講座」に参加することにしました。この会場が2005年に京都市指定有形文化財に指定された長江家住宅であり、これが最初の出会いになります。
セミナーに参加する中で、長江家住宅のこれまでの歴史、文化財に指定されても将来の保全が約束されているわけではないこと。そして、長江家の人たちによってこれまで続いてきた暮らしと建物の両方を、継承してくれる人を探していることを知りました。

「もしかしたら、役に立てることがあるかもしれない」。建物への興味が深まっていくにつれて、興奮する気持ちは次第に大きくなっていきました。
フージャースとして文化的価値のある建物に関わるのはこれが初めての事でしたが、建物の保全への挑戦はもちろん、この建物に関わる長江家の皆さん、京都市、京都市景観・まちづくりセンターや立命館大学をはじめ、様々な人たちと仕事ができることへの期待から、フージャースが長江家住宅を譲り受けて、保全を引き継ぎたいと思うようになっていったのです。

長江家講座の様子(2013年撮影)

文化財を継承する

そもそも指定有形文化財は買えるのか?最初は、それすら分かりませんでした。周囲と会話を進める中で、長江家住宅の購入はできるものの、指定有形文化財のため室内の大きな改修工事は難しいことを知ります。つまりそれは、購入しても収益を生む事業にすることは難しいということです。
このことは社内で議論を呼びました。企業ですから収益性の観点はもちろん大切です。しかし私たちが最も話し合った点は別にあります。現在まで大切に継承されてきた長江家住宅の建物と暮らしの両方を引き継いでいくことができるのか、この点は特に慎重に議論を重ねました。社内で検討を進めながら、譲り受けたいという思いを伝えに、フージャース代表の廣岡と共に、長江家当主の元に真っ先に挨拶にも伺いました。
時間はかかりましたが、最終的には廣岡の強い思いもあり長江家住宅を継承することで着地しました。

祇園祭では、長江家住宅の前には船鉾が建ちます。長江家当主は船鉾保存会の理事をされていたこともありましたし、屏風祭※も行ってこられました。そんな建物と長江家の人たちの暮らしの両方を継承して残すことが地域貢献になるならと廣岡は考えたのだと思います。長江家住宅を経済的な価値だけで見るのではなく、その建物の置かれている状況や歴史的背景を知った上で興味を持ち、守っていきたいと思ってくれたことも大きかったと思います。
こうして私たちは、長江家住宅に京都支店をおき、西日本地区の拠点として活用したいという方針を固めました。

「維持には手間隙もかかります。例えば毎日どんなことをしなくてはいけないか。庭の掃除や、建物の掃除、ご近所付き合い。そこまでを理解し、本当に建物を理解した上で、継承してほしい」。初めて挨拶に伺った際に長江家の当主が話してくださった気持ちを受けて、長江さん、京町家保全の取り組みをしている髙木さん、立命館大学、そして京都市の文化財保護課と、産学官連携で対話を繰り返しながら丁寧に信頼関係を築いていきました。
町家の保全をデベロッパーがすること自体が珍しいことだったので、地元の人たちにも会いに行き話を伺うこともしていきました。

北棟の庭(2019年撮影)
南棟の台所「ハシリニワ」(2019年撮影)
※祇園祭の主に宵山の時期(前祭:14日~16日/後祭:21日~23日)に行われる行事で、山鉾町にある旧家・老舗がそれぞれの所蔵する美術品・調度品などを飾り、公開する。

歴史と暮らしの継承

長江家住宅を継承するにあたって、長江さんからは建物のこと、街のこと、本当に様々なレクチャーを受けました。それは蔵の中の1000点以上に及ぶ所蔵品の1つ1つの歴史や使い方から始まり、ご近所付き合いや、所作にまで及びます。当時の私たちが未熟だったこともあり、畳の縁を踏まないと言った当たり前のことから、座布団から立つときのマナーなど、長江さんにはたくさんのことを教えていただき、成長を見守っていただきました。
こうして初めての面会から約2年。2015年5月に、長江家住宅はフージャースへ継承され、蔵の所蔵品の多くは歴史的研究のため立命館大学に引き継がれることになりました。

長江家継承報告会(2015年撮影)

現在は、南棟のミセ部分をオフィスとしているほか、新入社員のワークショップ、社員研修などに利用しています。そうすることで、働きながら長江家住宅の日常の暮らしに参加できるようにしました。また北棟は昭和後期に現代風に改修されたものを、長江家文書(建 築史料や古図面等)や、構造部に残る痕跡の調査をした上で復原改修し、できる限り江戸時代の建築当時の姿に近づけました。ここは迎賓館として、京町家の文化や暮らしを体験できる施設にすることで「町家文化」を継承するための役割を担っています。この他にも、祇園祭では室内に屏風を飾り公開したり、産学官連携で案件を進めてきた立命館大学の学生にインターンシップで参加をしてもらったりと、可能な限りではありますが、長江家住宅の価値を伝えるために門戸を開いています。

オフィスがある南棟の受付スペース(2015年撮影)
ミーティングや通常業務は長江家住宅で行っている(2017年撮影)
北棟は迎賓館として活用(2019年撮影)

フージャースで文化財的価値のある建物に関わるのは、これが初めてのことでした。また京都においても当時は、民間企業による文化財の保全は珍しいことでした。
計画の当初は、街を開発することを仕事にするデベロッパーが保全をするということに対して、地元の皆さんを不安に思わせてしまうこともあったかもしれません。当時、京町家保全の取り組みをしていた髙木さんにフージャースに加わってもらい、髙木さんを中心に社員が保全をすることに対して、街の方にはあたたかく見守っていただいています。
今回の取り組みをきっかけに、民間企業による持続可能な維持保全が広がっていって欲しいと思います。

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