WORKS 中途入社

フージャースで思い通りの
街並みを造り、販売したい

細沼 裕治 YUJI HOSONUMA

戸建て・アパート事業 2015年入社

CAREER

  • 1998 建設会社入社 マンション用地仕入れや自社分譲の販売を行う。
  • 1999 マンションデベロッパー入社 自社マンションの分譲販売。
  • 2009 不動産仲介・販売会社入社 戸建ての販売を行う。
  • 2015 フージャース入社。

―2015年4月入社の細沼は、現在、フージャースアベニュー 営業部営業一課に所属。戸建営業のチーフとして、業界NO.1を目標に日々業務に取り組んでいる。大学時代の細沼の専攻は理工学部土木学科。元々建築を目指していた細沼だったが、入試に失敗。土木から建築業界にも就職ができると聞き、土木学科で都市計画を勉強することにした。そんな細沼が新卒で入社したのはマンションデベロッパーだった。

大学のときは都市計画を専攻していましたが、いざ就職するとなったとき、元々建物を設計してみたいという気持ちがあったので、先輩たちに相談していました。マンションデベロッパーに入社した先輩も、建築士の資格を取って、その後独立して仕事をしていると聞いたんです。遠回りになるかもしれないですが、それもありかなと考え、マンションデベロッパーに就職しました。始めは土地の開発や企画を担当していました。

―いずれは、マンション以外の建築物を設計したい。そんな想いで入社した会社。しかし、細沼は、1年半で会社を辞めることになる。

実は、入社して半年後、会社が営業を強化したいということで、営業に異動することになったんです。元々営業が嫌いな訳ではなかったので、やってみると営業も楽しくて。何故か営業の魅力に取り付かれてしまって。この営業の経験も企画とかに活かせるのかなという想いもあったので、1年ほど営業を頑張っていました。そんなときに、当時の常務が会社を立ち上げることになり、「細沼来てくれないか」という誘いを受けました。他にも優秀な営業マンが立ち上げに参加するというので、新会社が成功するんじゃないかと思って、着いて行くことに決めました。

―1999年10月。22名で新会社を設立。大手デベロッパーの販売代理からのスタートだった。しかし優秀な営業マン揃い。難しい残戸物件を短期間で完売させるなど、多くの実績をあげることで、大手からの信頼を勝ち取っていった。

始めは手数料で稼ぐしかないということで、あの頃はみんな必死でした。でも、なんとか信頼を得ることが出来て、それ以降は新規物件など色々と販売させて頂いて。その後は、銀行からの融資もいただけるようになって、順調に会社も大きくなっていきました。ピーク時の販売戸数は1,000戸程度。リーマンショック前には、管理会社なども含めグループ連結で100名くらいの規模になっていました。

―しかし、成長著しい会社も、リーマンショックの波には勝てなかった。細沼の会社も民事再生の申し立てをすることに……。

あの頃は仕事が手につかない状態でした。ただ私も設立メンバーだったので、途中で投げ出さずに最後まで頑張ろうと思っていました。でも民事再生するとリストラしないといけない。私もリストラの対象になっているという話を聞き、転職をすることにしたんです。

―民事再生の話を聞きつけて、細沼に声を掛けてくれた人がいた。前の会社の事業部長が会社を辞め、千葉で展開する不動産会社を継いでいたのだ。そして、細沼と先輩の二人で入社することになる。この会社で、細沼は初めて戸建事業に関わることになった。

宅地の開発分譲会社とビル管理や賃貸管理を行う会社でした。今までマンションデベロッパーでは関わらなかった「企画」や「ローン付け」も自分で対応するので、とても大変でした。ただ、業務の視野がそこで一気に広がりました。仕入れてきた土地に、どういう建物を建てるかといったことも、建築部と打合せをしながら進めることができました。そういう魅力はありましたね。あと、お客様と接することが凄く好きなんだと、改めて実感できる仕事でした。

―しかし、営業部のメンバーは細沼と先輩の2人だけ。仕入れた土地を130区画に分けたとしても、その大半をメーカーへ卸し、自分たちが担当するのは販売が難しい区画だったという。モデルハウスもない中で、分譲地にテントを張ってお客様を待つ日々だった。

狭小地とか日照条件が悪い区画を、何とかして販売して行こうと。5年くらいやらせて頂きました。しかし、営業に必要と思われるツールやパーツを会社は準備してくれないんです。会社は大部分の区画をメーカーに卸していたので、お金を掛けないで儲けていたんです。「街を造るんだ!」という割には、営業ツールに関しては財布が渋かった。何とかここで頑張って、大きくして行こうという気持ちはあったんですが、その気持ちもだんだん薄れてきて。自分たちは一部歩合でしたから、売れなければ当然給料も上がらない。果たして、この状況で続けていく意味があるのかなと思い始めたんです。

―気付くと5年が経っていた。時間が掛かったのには理由があった。親会社の事務員と縁があり、39歳の時に結婚していたのだ。取り持ったのも当時の社長。2014年3月、奥様の出産退社を機に、細沼も転職を真面目に考えるようになった。

妻も社内事情を知っていたので、早く辞めて良かったと言ってくれました。この状況で続けていくことが私にプラスになるかと疑問を持っていたんです。あとは、子供ができたことが大きいですね。

―細沼は、住宅診断を行うコンサルティング会社など、営業以外の会社も探してみたが、結局は、人と接して物を売るという仕事を探すことになる。その中の一社がフージャースだった。特に注目したのが戸建販売だった。

船橋の三咲という場所にフージャースの戸建物件があったんです。自宅から近かったので直ぐに見に行きました。面接にいく前のことです。感想は「凄く良い所だな」と。「こういう街並みを売りたい」という気持ちになりした。そんなときに、戸建営業のお話があったので、これもご縁かなということでフージャースに決めました。

―2015年4月。細沼はフージャースアベニュー 営業部営業一課にチーフとして入社することになった。

入社してみると女性スタッフが4割位。女性の意見を聞き入れながら企画をする。女性目線と言うこだわりも良かったですね。女性の意見は、住宅の中で一番左右される部分だと思います。女性目線の物件作りというものを今まで経験したことがなかったですし。実際に入ってみたら、とてもやりやすかったですね。戸建の歴史がまだ浅いので、これからチャレンジして、色々作って行けるんじゃないか。自分が入ることによって新たなビジネスチャンスも生まれるのではないかなと思いました。

―フージャースの戸建物件の魅力とは。

企画が全然違いますね。例えばフージャースの物件は、4人家族向け物件も、始めから部屋は仕切らないフレックスホール。家族の成長に合わせて、後から仕切ることが出来る。前の会社では、「壁がなければ、小さいうちは二人で使えるのに」と、よくお客さまから言われたことがありました。このような取り組みが実現できるのは、女性の意見を取り入れているからだと思います。それ以外にも、男性だと気付かない女性ならではの目線で商品が作られています。今まで在籍した会社は、土地に建物を建てて販売価格を設定して建物を売る。でも、フージャースでは、街並みを造る。前職でも街は造るんですが、ただ開発するだけであって、購入したお客様ご自身で街を造りあげてもらう感じですね。フージャースの場合は、初めから街造りを企画でやっているので、そこが魅力ですね。

―フージャースアベニューでは、土地を仕入れて、区割り、プランニング、そして建物が完成してから営業が始まる。完成物件を売ることで完売までの期間は短いというが、デメリットもあるという。

お客様に合ったプランがないと厳しい部分は出てきます。でも「街並みを売る」ということをしっかりとお話しして、お客様にご納得いただければ、ご購入いただけるのです。例えば、駅からの距離や周りの商業施設を含めた場所の特性といったものを理解していただくまで、お客様と徹底的に話します。そうすると、大体は良い場所なんだなと。ただ、一度だけでは完全に理解していただけないので、二度三度と足を運んでいただいて、街の周辺を歩きながら、お客様に説明したりします。初めから間取りで入ってしまうと街並みは薄れてしまうので。街並みというのは、区画だけでなくその周辺も含まれると思います。そういったところも一緒に歩いて、「こういう街に住めばこういう利点がありますよ」などお伝えしていきます。

―自分たちで造った街並みを販売したい。その想いでフージャースに入社した細沼。入社からもうすぐ一年。これまでのフージャースでの仕事を振り返ってもらった。

まだ1年未満ですが、4月に入って今日まで3物件を担当させて頂きました。その場その場で、どうしたら売り上げに貢献できるのか、一生懸命考えていました。「どうしたらお客様を、契約に導けるのか」しか頭にないので、一言で言うと頑張りました。今は頑張るしかないと思っています。一つの物件に対して集中力を持続させていかないといけない。本当は、先のことも考えないといけないのでしょうが、自分はまだそういう状況ではないと思います。まず今の壁をクリアする。先のことを考えるより、今を精一杯頑張らないと、その先はないのかなと思っています。

OFF TIME

スポーツ観戦が大好きで、野球やラグビーを見に行くことが多いです。ゆっくりの休日は2歳の子どもと公園で遊んだり、買い物に行ったり家族で過ごしています。