街のストーリー

人が集い、暮らしやすい街中で
街の景色が変わってゆく

2025.10

私たちフージャースは、東日本大震災の被災地の再生・復興に向け、東北地方で再開発事業に参加させて頂いてきました。今回ご紹介する「ミッドタワーいわき」もその流れを汲んで、いわき市では4棟目となる開発です。

本事業では、JRいわき駅前において、商業棟「63 Roku-San PLAZA (63プラザ)」、駐車場棟、2つの広場、並木道が続く「並木通り」を含む“並木の杜シティ”の大規模複合再開発が行われ、今回の「ミッドタワーいわき」はその一帯開発の中の住宅棟にあたります。
駅前再開発の一端に参加させて頂くということで、通常のマンション計画だけではなく、いわき駅前をより魅力ある街にするためという発想で、試行錯誤を重ねました。

今回は2024年11月に「いわき駅並木通り地区第一種市街地再開発事業」の1つとして竣工した「ミッドタワーいわき」のストーリーを、再開発組合理事長の野沢 達也(のざわ たつや)さん、フージャースからは建築担当の松浦 純(まつうら じゅん)、再開発推進担当の山内 義雄(やまうち よしお)、プロモーション担当の横田 明子(よこた あきこ)の計4名の取材を通してご紹介します。

野沢 達也(写真右から2番目)

いわき駅並木通り地区第一種市街地再開発事業 再開発組合理事長。事業全体を統括。

山内 義雄(写真左から2番目)

株式会社フージャースコーポレーション企画開発本部。地権者の取りまとめから組合の解散まで、事業全体を推進。

松浦 純(写真左)

株式会社フージャースコーポレーション建築統括部。建築担当として事業を推進。

横田 明子(写真右)

株式会社フージャースコーポレーション営業企画室。本件のプロモーションを担当。

人が住めば、何かが変わる

いわき駅直結の商業施設「63(ROKU-SUN)PLAZA」と、住宅棟「ミッドタワーいわき」(地上21階建て216戸)を含む「いわき駅並木通り地区第一種市街地再開発事業」は、地元では約10年もの年月をかけて進められました。

―再開発に関する協議会が立ち上がったのは2014年と伺いましたが、立ち上げのきっかけを教えてください。

野沢

きっかけは、東日本大震災です。いわき市は津波の被害はなかったものの、建物被害がありました。それで改めて、街のあり方を考えようと地権者が集まったんです。
私はこの場所で生まれ育ちましたが、昔は電気屋さん、お菓子屋さんと商店が立ち並び、子どもの数も多くて、小学校や中学校はいわきでは一番のマンモス校だったんですよ。道路を閉鎖して盆踊りをしたり、下町のような雰囲気がありました。
でも時代が経つにつれて、商店は街の中心に、住居は郊外にと街のあり方が変わり、その様子に危機感を感じていました。そんな時に地震があり、「このままでは、いけない」と、協議会を立ち上げることにしたんです。

―再開発をするにあたり、皆さんでどんなことを話し合いましたか。

野沢

集まった地権者さんは13、4人だったと思いますが、再開発にあたってはとにかく「街に住む」ということを叶えたいと話し合いました。今は郊外に住んでいる人が増えましたが、その人たちに帰ってきてもらおうと。そのためにも、街の中に人が住む場所を作りたいと考えました。人が住めば、何かが生まれる。そうすると、自ずと街も変わると思ったんです。

―再開発はどのように進んだのでしょうか。

野沢

2013年12月から、住民が主体となって勉強会から始めました。その時の計画は残念ながら認められなかったのですが、勉強会は続けていたんですね。そのうちに、商工会議所と行政で「いわき市中心市街地活性化基本計画」ができて、その計画にこのマンションがある田町エリアが入っていたので、再開発が動き出しました。

再開発立ち上げ当時のことを振り返る野沢理事長

外の視点を融合する

―今回の再開発にフージャースが参加したきっかけを教えてください。

山内

フージャースは、東日本大震災の被災地の再生・復興に向け、東北地方で再開発事業を行ってきました。いわきでは3棟の物件を手がけていたので、その流れで今回のプロポーザルのお話をいただきました。

野沢

実は、フージャースさんについては社名を知っているぐらいだったんです。
でも、お話を伺ってみたら、開発を通して社会課題・地域課題の解決に貢献していく姿勢をお持ちで、マンションデベロッパーとして信用できるなと思いました。今回の再開発は、つくって終わりではなく、その後の運営も大切にしたいと思っていたので、フージャースさんなら、そこまでを見据えた開発ができそうだと期待を持ちました。

―開発にあたって、フージャースにはどんなことをお願いしましたか。

野沢

こちらから最初にお願いをしたのは、2つです。全国にマンションはたくさんありますが、この場所に合うマンションを作って欲しいということ。また、震災を経験した私たちですから、安全性の確保と、人のつながりを大切にしたいとお話をしました。

松浦

私自身、山形県の出身で東北の震災をきっかけに、復興のプロジェクトに関わってきました。復興という言葉はかっこいいけれど、実際にやろうとすると本当に大変で。特にいわき市の場合は、昭和41年に14市町村が合併し、新旧住民が合わさって共存してきたという歴史があります。また高齢化が進み、街なかといえど歩きづらく、暮らしにくいといった声もありました。そんな中での再開発。関係者も多かったので、丁寧に話し合いを進めました。

野沢

今回外構については、ランドスケープデザイナーの株式会社スタジオゲンクマガイの熊谷玄さんに考えていただきました。熊谷さんが設計に入る前に、街の風景を収めたコンセプトブックを作ってくれたんですが、それが、とても素敵で。『外の人たちから見たら、この街はこんなふうに映るのか』と感動しました。
フージャースさんの提案もそうですが、主観と客観、自分たちの視点と外の人の視点が全く違い、改めて、外の方に参加いただくことの意義を感じました。プロジェクトを通して、その視点の融合ができたのがよかったですね。関係者が多かったので、松浦さんは大変だったと思いますよ(笑)

松浦

ありがとうございます。理事長には、だいぶわがままを聞いていただいて。
通常、商業と住宅は見せ方が違う中で、商業棟の「63(ROKU-SUN)PLAZA」外観は、住宅棟の「ミッドタワーいわき」と同じように、デザインや色味を統一させていただきましたよね。新設した並木テラスや植栽を引き立たせて、街としての一体感を出すことを意識しました。

野沢

あれは、良かったね。
歩道側の並木テラスについても、人が腰掛けて休んだり、おしゃべりを楽しんだりと、人が歩いて楽しい街を想定していたので、無事に完成してよかった。県にかけあって国道歩道の改修に合わせて、歩道とテラスのデザインと統一して10m幅員の人が憩える空間が完成出来たのも、フージャースさんと一緒に県と協議を重ねられたことでより実現できたと思いますね。

山内

野沢さんが、今回の開発にあたって、このエリアの字(あざ)を「並木の杜」に変更すると伺っていたので、この「並木テラス」に対する熱意を感じていたというのも影響していますよ。

整備を行った国道歩道
並木テラス

街の人の思いを汲む

―実際の開発は、順調に進んだのでしょうか?

山内

語り尽くせないぐらい、色々ありましたよね。事業の途中で磐城平城の遺構に関する発掘調査が必要になったり、建設資材高騰の影響で事業費が当初計画から膨らんだり。工期も当初の見込みより約7カ月遅れてしまい、お施主様にはご迷惑をお掛けしてしましたが、24年11月には完成にこぎつけることができました。

―地上21階建てのマンションも、売れ行きは順調であったと聞いています。実際にはどのような方が住まわれたのでしょうか。

野沢

マンションも、計画が固まった当初は『販売は厳しいのでは?』と話されることもありましたが、結果順調でしたよね。購入者の中には、いわき市内の他の地域から駅前地区に引っ越そうという人も多くいたとお聞きしました。街に人を呼び戻すことができたと言えるのかなと思っています。

ミッドタワーいわき マンション入口
マンションエントランス
横田

ありがとうございます。
私自身、再開発物件のプロモーションを担当させていただく中で、学んだことがあるんです。それは、再開発物件の場合、組合の皆様の土地で商売をさせていただくので、「マンションが高く売れてよかった」ではなく、「街の価値を上げること」がゴールということです。そのために、プロモーションのタイミングから、街の魅力をきちんとお客様に伝えられるかが重要なんですね。
過去には、魅力を伝えきれず不甲斐ない思いをした物件もあったので、今回はそうはさせないぞという強い気持ちで望みました。

松浦

横田さんが担当で、理事の皆さんと街づくりに関心のある地元の方々や関係者で、街の魅力を探るワークショップをしていましたよね。

横田

駅前エリアに対して、皆さんがどんな思いを持っているのか知りたくて、ワークショップを開催しました。普段住んでいない私たちが再開発をするのは不躾ではあるのですが、よそ者だからと割り切って、図々しくも色々とお気持ちを聞かせていただきましたね。その結果、参加者それぞれの方が、この街に魅力を感じていて、駅前エリアを盛り上げたいという気持ちが根底にあることがよくわかりました。
元々検討はしていましたが、この時のことがきっかけになって、開発後にエリアを盛り上げる「街びらき」をするという思いが強くなりました。

未来の賑わいのために、前例をつくる

2025年4月、マンション竣工から半年弱が立つ頃、並木の杜エリアにて街びらきイベントを開催しました。

横田

駅前の再開発エリアは「並木の杜シティ」と名付けられて、住宅棟の「ミッドタワーいわき」、商業棟の「63 プラザ」、駐車場棟の3つの建物及び、並木広場、もみの木広場の2つの広場と、同時に開発した並木通り(プロムナード)から成り立ちます。
この並木の杜エリア全体を使って街びらきイベントを計画していたところ、「たいらほこみち」と「サンシャインマルシェ」という2つのイベントも同時に開催することになったので、「いわき駅前フェスティバル」と称して、駅前の大通りを含む一帯を使った大規模なイベントを今年4月に実施することができました。

野沢

当日は、歩道に人が歩けないぐらい沢山で、出店も並んで、1000人ぐらい集まったんじゃないかな。大盛況でしたね。本当にやってよかった。

街びらきイベントの様子
イベントステージ前には多くの人が集う
横田

そう言っていただけて良かったです。
今回の街びらきは、多くの方に認知していただくことも大切ですが、もう1つ目的があって。今後も広場やプロムナードを市民の皆様にご利用いただける素地を作りたかったんです。
広場やプロムナードで露店が出せるように手続きをする。街区の間の道を歩行者天国にするために道路の使用許可を行政や警察にお願いに行く。何でも前例を作れば、必ず次回があると思うんです。今回の街びらきは、そういう前例をたくさん作ることを心がけました。出店者さんも、『また出たい』と思ってもらうために、出店者もいわき市内の方に限定をしてお声がけをしているんです。すでに、今後も何かやりたいというお声も出ているみたいなので、実現していきたいですね。

今は、街づくりの第一歩

野沢

横田さんの話にもありますが、街づくりは、作って終わりではなく、その後の運営が大事だと思っています。再開発で、人と人が触れ合うきっかけはできました。それを、どう育てていくかが、これからは大切になります。そのためにも「いわきを、どういう街にしたいのか」を考え続けたいですね。
フージャースさんはその視点で一緒に事業ができて、本当に良かったと思います。上から目線でなく、同じ目線で最後まで話ができました。

山内

再開発の初期から関わっていますが、すでに街の景色が変わってきているようにも思うんです。朝の登校の子どもの数が増えているようにも思いますし、人の流れも駅前にできているなと。

野沢

そうですよね、私もそう思います。
郊外に出て行った人たちに戻ってきてほしいという想いで作ったけれど、それが少しずつ叶っているのかもしれないですね。大型の量販店やアミューズメント施設を作らなくても、まずは人が増えたら、何かが変わる。今は、その第一歩を踏み出したところだと思います。

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